八千代町の文化財

1.佛性寺観音堂・仁王門

観音堂

名称 佛性寺観音堂・仁王門 附、宮殿1基、棟札1枚
よみ ぶっしょうじかんのんどう・におうもん つけたり、くうでん1き、むなふだ1まい
数量 2棟
指定番号 県指定第85号 建造物
所在地 八千代町栗山
管理者 佛性寺
年代等

観音堂 延宝8年(1680)                                          仁王門 安永3年(1774)

指定年月日 平成29年12月25日
 

 佛性寺は天台宗山門派の寺院で、縁起によると天平11年(739)の草創と伝える古刹である。もと南方の古堂と呼ばれる地にあり、江戸時代の享保20年(1735)に現在地へ移ったと伝えられる。寺地は南向きに構えられ、仁王門の正面に観音堂が建つ。観音堂宮殿には、県指定文化財の木心乾漆如来形坐像を安置する。観音堂は、桁行3間、梁間3間、1重、入母屋造、向拝1間、銅板葺(もと茅葺)、高欄附回縁のある本格的な造りの三間堂である。天井は周囲を化粧屋根裏天井、中央部を格天井とする。観音堂の外観は全体的に和様に整えられ、内部は中世の禅宗様仏堂式の古式な架構が見られる。内陣と外陣は入側柱2本で仕切られ、内陣に須弥壇を設け宮殿を安置するが、こうした三間堂ではあまり例がない。観音堂宮殿

 観音堂外部・内部とも赤色塗料が施されており、内外の小壁や内陣板壁に彩色絵が描かれている。内部小壁には馬が描かれているが、こうした観音堂小壁の絵に馬を題材とするのは珍しい。                                                                    

 須弥壇・宮殿は、禅宗様の手法によるもので、宮殿は、桁行1間、梁間1間、正面を入母屋造として軒唐破風をつけ、組物は三手先詰組とする。須弥壇は黒漆、宮殿は金箔、極彩色が施される。

 建築年代は、棟札から結城の山川大工により、延宝8年(1680)に建てられたことが分かる。

 仁王門は、間口20尺(6m)余りの三間一戸楼門で、屋根は入母屋造、桟瓦葺(もと茅葺)である。下層は、自然石の礎石に円柱を立てる。中央間に扉を設けず、脇間に金剛柵を立て仁王像を安置する。上層は中央間を吹放す。下層上層とも天井は竿縁天井とする。仁王門は一重の八脚門形式が県内では一般的であるが、楼門形式のものは例が少ない。

 棟札は確認されていないが、明治期の記録から観音堂と同じく山川の大工によって安永3年(1774)に建てられたことが分かっている。

 観音堂と仁王門は、建築年代が明らかで、同じ山川大工による建立であることが判明している。                             比較的保存も良く、寺院を構成する重要な要素である堂と門が共に残されており、県内近世寺院の遺例として貴重である。                                              仁王門

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〒300-3572 結城郡八千代町大字菅谷1017-1

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